新浪剛史(にいなみ たけし、1959年1月30日-)さんは、日本の実業家です。
三菱商事から出向してローソンの社長として改革・再生を成し遂げたあと、サントリーホールディングスの社長に就任という、大出世を果たした新浪剛史さん。
「物言う財界人」として知られる新浪剛史さんですが、ジャニーズ問題や国民皆保険への発言もあり、若い世代からも注目される人物です。
ルーツに「海の男の血」を持ち、ローソン社長時代には「荒波」のあだ名が付けられるほど激しい気質を備えているとも噂されています。
熱血漢・新浪剛史さんのバックグラウンドはどのようなものなのでしょうか?
新浪剛史さんの家系図、親、弟、妻、子供の真相に迫ります!
目次
新浪剛史の家系図

新浪家は愛知県の漁師
新浪家は、吉良上野介の領地だったことで有名な、愛知県の西尾市吉良町に住んでいた、江戸時代から続く漁師の家系です。
新浪剛史さんの曾祖父が海運業を始めたものの、転覆事故により大きな借金を抱えてしまいます。
支払いができなくなり、家族は夜逃げ同然で横浜に引っ越すはめに。
貧乏すぎて船上生活
新浪剛史さんの祖父・新浪舛太郎さんは、艀(はしけ)という貨物の移動等に使用される輸送船を住まいとし、起死回生を狙って働き続けます。
ようやく艀生活から抜け出した舛太郎さんは家を持つに至り、結婚して子供たちも生まれました。
貧しさのため進学できなかった舛太郎さんは、仕事の合間に漢字を勉強していたといいます。
勇治と名付けた長男たちへの教育も熱心で、一生懸命勉強を教えたそうです。
新浪剛史さん誕生
新浪剛史さんの父となる新浪勇治さんは、米軍に荷物を運ぶ会社に就職し、横浜で出会った恵美子さんと結婚。
1959年・昭和34年、新浪勇治さんと恵美子さんの間に、新浪剛史さんが誕生したのです。
ご先祖様たちの苦労がひしひしと伝わってくるような家系図ですね。
新浪剛史の親

新浪剛史さんの父母について調べてみました。
父
新浪剛史さんの父・新浪勇治さんは横浜育ちで、荷役会社を経営していました。
日頃からほとんど喋らず、めったに怒ることもなかったと言います。
仕事一辺倒で無口、まさに昭和の頑固親父そのものという感じです。
父が育った横浜には米軍人がたくさんいたこともあり、英語を独学で身につけたという勉強熱心の側面も持っています。
新浪剛史さんや弟さんにも徹底的に英語を仕込んだそう。
新浪剛史さんも弟さんも、勤勉さや威厳を持つ父親の背中を見て育ったのですね。
母
新浪剛史さんの母・恵美子さんは、静岡県賀茂郡松崎町の宮大工の家に生まれたのですが、親戚の子供がいない夫婦の種子(たねご)として引き取られます。
恵美子さんの実の父母が離婚したため実家には戻れず、ずっと養父母の元で生活していたそうです。
経済的な苦労はなく大切に育てられたものの、親に捨てられたという気持ちがぬぐい切れず、「自分はしっかりとした家庭を築きたい」と考えていたとのこと。
そんな母親はとにかく教育熱心で、テストで95点を取っても、「なんであと5点が取れないのか!」と叱りつけるという、厳しい女性でした。
また、新浪剛史さんが幼いころ、母から強制的に左利きから右利きに変えさせられたというエピソードも。
新浪剛史の弟

新浪剛史さんの弟さんは3歳年下の、新浪博士(にいなみ ひろし)さんです。
現在、東京女子医科大学の教授を務め、「心臓手術のスーパードクター」の異名を持つお医者さんをしています。
兄弟そろって、進学校で有名な神奈川県立横浜翠嵐高校出身という頭の良さ。
宇宙兄弟ならぬ、凄腕兄弟!
勉強よりも遊びに熱心な少年時代
新浪剛史さんの弟さんは優等生タイプではなく、どちらかというと落ちこぼれ組でした。
他校に行った中学生時代の不良仲間とつるんで、インベーダーゲームで遊んだり、学校に行かずに鎌倉の海で遊んだりと、やりたい放題な少年時代を過ごしました。
翠嵐高校の校風が自由だったので、ロングヘアにパーマ、細いズボンを履いて学校に行っても、怒られることはなかったとのこと。
翠嵐高校は自宅から歩いて3分だったこともあり、弁当を持って行くのが面倒なときは、上履きのまま家に帰っていたそうです。
当時、慶應義塾大学の体育会に所属していた新浪剛史さんや、教育熱心だったお母さんは、そんな弟さんの素行を心配し、生活態度を改めるよう散々怒られていました。
内向的な性格だが…
お兄さんがスポーツマンでリーダーシップに長けていたのに対して、弟の博士さんは「部屋でプラモデル作りを楽しむような、内向的な性格だった」とご本人は語っています。
また、あまり他人に気を遣うこともできなかったため、親からは「礼儀を知らない子供ね」と思われていたそうですよ。
今でこそ社交的になったものの、生まれついた性格はそうそう変わるものではないと、子供のころを振り返っています。
それにしても、お医者さんになる人って、お堅いイメージがありませんか?
でも、弟の新浪博士さんは、内向的な性格と言えども、やりたいことをしてきたタイプだったんですね!
新浪剛史の妻

実は、新浪剛史さんには離婚歴が3回あり、今は4人目の妻と仲睦まじく暮らしています。
- 1人目の妻:三菱商事時代の元同僚
- 2人目の妻:元・キャビンアテンダント
- 3人目の妻:日本経済大学学長の都築明寿香さん
- 4人目の妻:ローソン社長時代の社長秘書
1人目の妻
1人目の妻は、三菱商事の同僚女性で、職場結婚でした。
新浪剛史さんが29歳のころ、ハーバード大学に留学が決まったときには、すでに離婚していたので、数年間と短い結婚生活だったようです。
2人目の妻
2人目の妻は、大手航空会社のキャビンアテンダント(CA)。
新浪剛史さんが30代のころの妻でしたが、離婚に際してはかなりの慰謝料を払ったという噂もあります。
もしかしたら、浮気でもしたのでしょうか?
3人目の妻
3人目の妻は20歳も年下の都築明寿香(つづき あすか)さんでした。
青山学院大学法学部と東大大学院を卒業した才女です。
現在、都築明寿香さんは福岡県の日本経済大学学長を務めています。
新浪剛史さんが2002年にローソン社長に就任した当時の妻で、お二人の間には子供がいたようです。
離婚した後、「子供と会いにくくなるな」と、新浪剛史さんは寂しがっていたという噂もあります。
ちょっと言いにくいのですが、都築明寿香さんの父は強制わいせつ事件で逮捕され、有罪判決がくだされているんです。
こうした出来事も、離婚の要因になったのかもしれませんね。
4人目の妻
4人目の妻・現在の妻とは、ローソンの社長としてバリバリ働いていたころに結婚したようです。
現在の妻がまだ彼女だったころ、新浪剛史さんが「父親の世話もしてくれた」と周囲に語っているところを見ると、優しい女性なのでしょうね。
ただし、元社長秘書ですから、浮気への監視の目も厳しいのでは?と想像してしまいます。

新浪剛史の子供

新浪剛史さんは4回も結婚しているのですから、それなりに子供をもうけたとは思いますが、お子さんに関する情報は公表していないようです。
ネットでは1人とか2人とか噂されていますが、もう少し子供さんがいてもおかしくないですよね。
デキル男は、子供の情報を出さないのかもしれません。

まとめ

新浪剛史さんは、元株式会社ローソン取締役社長兼CEO及び会長を務め、現在は、サントリーホールディングス株式会社の代表取締役社長です。
4人目の妻と暮らす新浪剛史さんですが、新浪剛史さんや弟さんに教育を与えてくれた祖父・父・母に報いる意味でも、末永くお幸せに暮らしてほしいと思います。