谷繁元信さんが野球界で活躍しているだけに、息子たちや妻にまつわる噂が注目されました。
中日ドラゴンズの元監督で、昔は「狂犬の名捕手」として名高い谷繁元信さん。
プロ野球界での長いキャリアを経て、今では野球解説者として活躍中です。
しかし、次男に薬物疑惑が浮上し、話題となってしまいました。
そこで今回は、谷繁元信さんの輝かしい経歴、息子たちの野球生活、次男の過去の騒動とその後、妻との離婚・再婚の噂などについて詳しくお伝えします。
目次
谷繁元信さんの経歴

本名 | 谷繁元信(たにしげ もとのぶ) |
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生年月日 | 1970年12月21日 |
出身地 | 広島県比婆郡東城町(現・庄原市) |
高校 | 江の川高校(現・石見智翠館) |
身長・体重 | 176cm・81kg |
所属 | 元中日ドラゴンズ |
投球・打席 | 右投げ・右打ち |
ポジション | キャッチャー |
活動 | 元プロ野球選手、監督、野球解説者 |
まずは、谷繁元信さんのプロ野球キャリアを振り返ってみましょう。
谷繁元信さんは1970年12月21日、広島県東城町で生まれました。
谷繁さんの父親が野球をしていた影響で、小学校2年生のときに町のチームに入り、中学校では軟式野球部に所属していました。
第一志望の高校に落ちて迷っていたところに、江の川高校からスカウトされるという、なんとも野球運に恵まれた人物です。

1988年ドラフト会議では、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の1位指名を受け、契約金5800万円で入団しています。
1年目から開幕一軍入りを果たし、リーグを代表する捕手として注目されるようになりました。
1998年には、リーグ優勝に大きく貢献し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞のほか、大魔神・佐々木主浩さんと共に最優秀バッテリー賞も受賞しています。
- 2002年中日ドラゴンズに移籍
- 2013年2000本安打達成
- 2014年選手兼監督
- 2016年現役引退表明
谷繁元信さんは、当時の野球人生を振り返ってこんな名言を残しています。
『1998年のベイスターズファンの迫力というのは、未だに忘れられないね。』
捕手としての名声は、通算3021試合出場、27シーズン連続安打、同本塁打を達成。
いずれもNPB歴代最高記録を作った、名実ともに代表的な存在でした。
2016年に野球選手・監督を引退した後は、野球解説者や評論家として活躍しています。
谷繁元信さんの3人の息子

谷繁元信さんは、一般人の妻・瑠美(るみ)さんと結婚し、3人の息子さんに恵まれました。
長男の快(かい)さん、次男の凛(りん)さん、そして三男の朗(ろう)さん。
長男・次男・三男全員が野球の道に進み、祖父・父親の影響を受けています。
長男の快さん

本名 | 谷繁快(たにしげ かい) |
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生年月日 | 1995年生まれ |
学歴 | ・松蔭学園中学校 ・松蔭学園高等学校 ・國學院大學 |
身長 | 178cm |
体重 | 80kg |
ポジション | 外野手、ピッチャー |
谷繫元信さんの長男・快さんは、国学院大学卒業後、株式会社グローバル住販・野球部に在籍し、現在は社会人野球で活躍中です。
中・高の学生時代から肩の怪我が多く、プロ野球の道にこそ進めませんでしたが、父親からの影響は大きかったのでしょうね。
国学院大学時代は、周りのレベルが高すぎて「これは無理だな」と、野球の道は諦めたそうです。
谷繁家の教えは『基本的には自由に楽しめ!』なので、とくに何か言われることもなかったと言います。
2018年の東京建物不動産販売とのデビュー試合は、22対2と大勝しています。
デビュー戦から肩を痛めていたにもかかわらず、鋼鉄のような太ももとしっかりしたガタイから繰り出される球は130kでした。
東京のとある試合では、場外の「線路」まで届くホームランをかっ飛ばした!というエピソードも。
NPB歴代最高記録を叩き出した谷繁元信さんから、最強の野球遺伝子を引き継いでいるんですね。
実は、快さんの顔や声は、父親とそっくりなんですよ。
次男の凛さん
桐蔭学園3-10横浜高校
7回コールド試合終了桐蔭5番手投手 谷繁凛
打者1人に対して、ファーストゴロ pic.twitter.com/4jaJutUk6f— ふぃず 🐲 (@pyz9) September 13, 2015
本名 | 谷繁凛(たにしげ りん) |
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生年月日 | 1998年生まれ |
学歴 | ・松蔭学園中学校 ・松蔭学園高等学校 ・東海大學・体育学部 |
身長 | 179cm |
体重 | 79kg |
ポジション | ピッチャー |

谷繫元信さんの次男・凛さんは、中学時代から能力を発揮し、大会決勝戦ではノーヒットノーランを達成し期待を集めました。
大学2年生のときには、2018年全日本大学野球選手権に出場しています。
大学3年生で同選手権と明治神宮野球大会(大学野球)に出場し、いずれもベスト4進出を達成しました。
やはり、父親の野球遺伝子が受け継がれていたんですね。
しかし、プロ野球入りできるほどの実力はなく、プロ入りは断念。
父も兄も野球で活躍しているので、これが後で詳しく説明する「騒動」につながるコンプレックスを生み出してしまったのかもしれません。
三男の朗さん
【 #神奈川 】星槎国際湘南が初戦突破 谷繁朗内野手が1犠打1四球 父・元信氏「多少は貢献した」 https://t.co/vKdKysBSV7 #野球 #baseball pic.twitter.com/q9CH52jxzr
— スポーツ報知 (@SportsHochi) July 10, 2022
本名 | 谷繁朗(たにしげ ろう) |
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生年月日 | 2004年生まれ |
学歴 | ・星槎国際高等学校湘南 ・桐蔭横浜大学 |
身長 | 不明 |
体重 | 不明 |
ポジション | 一塁手兼二塁手兼三塁手 |
谷繫元信さんの三男・谷繁朗(たにしげ ろう)さんもまた、野球の道に進みました。
小学生から市ヶ尾シャークスに所属して野球を始めています。
中学校は不明ですが、兄2人と同じ松蔭学園だったかもしれません。
高校は星槎国際高等学校に進学し、野球部の副主将・内野手を務めました。
星槎国際高等学校を選んだのは、兄2人が松蔭学園時代にお世話になった「土屋恵三郎監督」がいることが理由だと語っていました。
兄弟愛・野球愛の強さが伝わってくるようなエピソードです。

三男・谷繁朗さんが高校3年の2022年、第104回全国高校野球選手権神奈川大会に出場。
父親が一塁スタンドから見守る中、1犠打1四球で勝利に貢献しました。
同試合6回の第3打席は空振り三振で、直後の守備から交代させられています。
谷繁朗内野手は、試合後のインタビューを受けて「(父に)もうちょっといいところを見せたかった」と悔しがっていましたよ。
桐蔭横浜大学での活躍いかんによっては、プロ野球入りするかもしれませんよね。
仮にプロ野球に進まなかったとしても、血統的に推測すると、大学卒業後はスポーツ用品などに関する企業に就職する可能性も。
次男の凛さんの大麻使用騒動
東海大の大麻使用者、なんと谷繁の息子だった https://t.co/31gcFMa8pC pic.twitter.com/GSg4lpsPLe
— プロ野球情報 (@proyakyu_nanj) October 21, 2020
谷繫元信さんの次男凛さんの大麻使用騒動について詳しく紐解いていきます。
東海大学野球部は無期限活動停止に!

2020年10月末、谷繁元信さんの息子で次男の凛さんが大学4年生のとき、野球部員の大麻使用が報じられ話題になったことがあります。
週刊文春や週刊新潮によると、東海大学の学生寮で複数の学生が大麻を使用し、学内の調査では事件の中心的な存在とされたのは2人の部員だとのこと。
東海大学野球部の記者会見では、薬物を使用した人数は一桁台と発表されていたので、ほかにも薬物に手を出した部員がいたワケです。
週刊文春のタイトルはズバリ
東海大学球部 息子が大麻使用 谷繫元信が語った胸中
週刊誌報道をまとめると……
- 東海大学野球部の体育学部
- 大学四年生
- 神奈川県内の私立高校卒業
- 谷繁元信の次男
- 四年生のピッチャー

週刊文春や週刊新潮が谷繁元信さんの息子だと報じたことから、次男の谷繁凛さんであると、容易に推測されてしまいました。
もう一人の主犯格は、兵庫県内の野球名門校出身の選手で、野手として活躍する傍ら、サーフィンに興じていたそうです。
大麻の入手ルートについては、新宿歌舞伎町である可能性が指摘されています。
大規模な学生イベントがあり、多くの強豪校の選手が集まった際に入手したとも言われています。
この事件により、野球名門の東海大学から出ている選手たちが、大麻を興味本位で使用していたことが明るみに出ました。
興味本位だったとはいえ、薬物である大麻は違法です。
部員たちは無期限の活動停止処分を受け、大学のみならず野球界全体に衝撃を与えました。
次男・凛さんのコンプレックス

事件が起きた当時、凛さんはピッチャーのポジションでしたが、高校や大学で目立った活躍をすることはできず、大学でも先発出場の機会が限られていました。
高校生の頃から挑発的な行動が見受けられ、例えば中指を立てた写真を旧Twitterに投稿するなど、やや問題のある一面もあったようです。
桐蔭学園高校2年の時、メンバー入りできなかったものの、凛さんはこうも語っていたんですけどね……。
「松陰で、父が達成できなかった甲子園優勝を果たしたい」
やはり内心は、なんとしても野球選手として成功を収めたいという夢を持ち、野球に励んでいたと思います。
当然、プロ野球選手として成功を収めた父親や兄の快さんの影響を受けていたでしょうし、自身も野球選手としての道を進みたいと考えていたでしょう。
しかし、その努力が実ることなく、大麻使用が問題化してしまったのは非常に残念です。
原辰徳監督もショックを隠せず…

東海大学は、巨人の監督を17年務め、2023年に退任を表明した原辰徳監督や、菅野智之投手の母校でもあります。
同大学の監督には菅野投手の祖父である原貢氏が関わっていたという、歴史的にも深いつながりのある大学です。
谷繁元信の次男である凛さんがこのような事件の中心にいたことは、野球界に衝撃を与えたばかりでなく、原辰徳監督にとっても複雑な事態であったことでしょう。
この問題について、原辰徳監督は次のように述べています。
「詳細は分かりませんが、本当であれば絶対に許されないことです。母校でこのような事件が起きたことにショックを受けています。」
谷繁元信さんの現在
今夜のS-PARKは!
ついに決着!!#日本シリーズ の熱戦を現地大阪から生中継!🐙#谷繁元信 さんの解説でたっぷりとお伝えします⚾️
いつもより10分遅い23:25から放送です📺 pic.twitter.com/5A266ZfH7b
— S-PARK 週末スポーツNEWS🏟 (@SPARK_fujitv) November 5, 2023
次男の事件は、谷繫元信さんの今後の活躍を左右させるかと思いましたが、結果として、活動に支障は出ていないと思われます。
現在、谷繁元信さんは、フジテレビ・日本テレビ・テレビ神奈川・ニッポン放送などで野球解説をするほか、野球評論家としても活躍しています。
2023年のWBCの解説者として、毎日のようにテレビに出演していました。
将来的には、再び指導者としてユニフォームを着ている谷繫元信さんが見られるかもしれません。
X(旧ツイッター)の更新はボチボチ
谷繁元信さんの公式Xですが、以前からさほど頻繁には投稿していないものの、2023年8月29日で止まっています。
「プロ野球名球会ゴルフチャレンジに出場します!」とあるので、野球界から干されることなく活躍している模様です。
離婚・再婚の噂も

谷繫元信さんの妻・瑠美さんとは、横浜ベイスターズの現役時代に結婚しましたが、すでに離婚したと噂されています。
というのは、中日に移籍した際に、奥さんが名古屋について行かなかったため、離婚したのでは?と当時から囁かれるようになりました。
離婚後はナースと再婚したとの噂がありますが、本人からの発表がないので実際のところは未だに不明なんです。
離婚や再婚が本当だったとしたら、息子3人たちはどうしたのでしょう?
あれだけ野球好きなのですから、父親が育てたと思いたいですが、さすがにプロ野球選手として忙しかったのでムリですよね。
週刊誌でも一切、離婚・再婚の話題が出なかったということは、離婚も再婚もしていないのかもしれませんよ。
次男の凛さんの現在

「谷繁凛」で検索すると、「パーソナルボディジム」を経営している情報が出てきます。
高校時代の顔写真と比べても似ているので、おそらくご本人だと思われます。
谷繁凛さんのプロフィールには、横浜市出身で大学までずっと野球人生を歩んできたとあります。
現在の趣味はゴルフ・サーフィンで、草野球もやっているとのことです。
2022年7月、40~50代女性を中心としたパーソナルジムをオープンしています。
開業費用は400万円ほどかかるということで、親には費用面のことで相談したとも語っていました。
現在、社会でしっかりと働いているので、谷繁凛さんの今後を応援したいと思います。
まとめ
今回は、プロ野球界の伝説を作った中日ドラゴンズの元監督・谷繁元信さんの活躍ぶり、そして3人の息子さんや元信さんの離婚・再婚の噂、現在に焦点を当てて調査しました。
次男の谷繁凛さんも、薬物事件で注目されてしまいましたが、無事に自分の生きる場所を見つけたようでなによりです。
温かい気持ちで見守りたいですね!